介護は、ある日突然始まるもの。
そのように感じている方は少なくありません。
しかし、統計や日々の診療現場を見ていると、介護は決して突然始まるものではなく、70代から少しずつ進んでいる体の変化が、75歳以降に一気に表面化していると考えた方が自然です。
■ 75歳を境に、大きく変わる現実
厚生労働省の統計では、75歳以上(後期高齢者)になると、要支援・要介護認定を受けている方の割合は約30%にまで増加します。
一方で、65〜74歳(前期高齢者)では、その割合は数%程度にとどまります。
つまり、75歳を境に、要支援・要介護の割合は6倍以上に増加するという現実があります。
介護は80代になって突然始まるのではなく、70代からの変化が、75歳以降に一気に表に出てくる――そのような構造が見えてきます。
■ 75歳は「人生の終盤」ではありません
診療の中で、「もう75歳くらいだし、先も長くないから」という言葉を耳にすることがあります。
しかし、統計的に見ると、75歳は決して人生の終盤とは言えません。
75歳時点での生存率は、男性で約80%、女性で約90%とされており、多くの方が75歳を迎え、その後も人生を続けています。
平均余命を考えると、75歳を過ぎてからも10年、15年、場合によっては20年近い時間を過ごす可能性があります。
つまり、75歳以降は「余生」ではなく、まだ長い時間が続く人生の一部なのです。
■ 平均寿命と健康寿命の「差」
日本では平均寿命が延び続けていますが、一方で「健康寿命」との間には差があります。
厚生労働省のデータでは、平均寿命と健康寿命の差は、男性で約8.7年、女性で約12.1年とされています。
これは、人生の最終段階で、何らかの支援や介護を必要とする期間が存在するということを意味します。
この期間を、できるだけ自分らしく過ごせるかどうかは、70代からの準備に大きく左右されます。
■ 70代で進んでいる“見えにくい変化”
70代になると、多くの方に次のような変化が見られます。
・食事量が少しずつ減る
・硬いものを避けるようになる
・外出や活動量が減る
・筋肉量が緩やかに低下する
これらは病気として自覚されにくく、「年齢のせい」として見過ごされがちです。
しかし、こうした小さな変化の積み重ねが、体力低下や転倒を招き、75歳以降の要介護状態へとつながっていきます。
■ 機能が衰える「前」に整えるという考え方
診療の中で、「もう75歳くらいだから、先は長くないし、義歯は適当でいいよ」とおっしゃる患者さんや、
「高齢なので、そこまでしなくてもいいのでは」と話されるご家族に出会うことがあります。
そのお気持ちは、決して特別なものではありません。
しかし、ここまで見てきたように、75歳以降には、まだ長い人生が続きます。
そしてこの時期に起こるのは、突然の衰えではなく、機能が少しずつ、しかし確実に低下していく変化です。
■ 「とりあえず先送り」の先にある現実
義歯治療を先送りし、「とりあえず今できることで対応する」という選択をされる方も少なくありません。
しかし、その間に体の衰えが進み、後になって「何とかしてほしい」と言われても、その時には術者側にも、患者さん側にも、多くの制約が生じていることがあります。
・通院を続ける体力が落ちている
・新しい義歯に慣れる力が低下している
・治療期間が長くなる
・治療の選択肢が限られる
・費用や通院回数の負担が増える
・治療成績にも影響が出る
これは脅しではなく、臨床現場で実際に起きている現実です。
■ 介護が始まってからでは、できる医療に限界があります
介護が始まり、通院が困難になった場合、診療室で行えるような十分な歯科医療を提供することは難しくなります。
訪問歯科診療という選択肢はありますが、それはあくまで生活を支えるための医療が中心となります。
精密な義歯の調整や、十分な咬合の確認、複数回にわたる細かな修正といった診療室だからこそ可能な治療を、同じ条件で行うことは現実的ではありません。
これは医療の質の問題ではなく、治療環境と条件の違いによる限界です。
■ 義歯治療は「困ってから」ではなく、「支えるための医療」
だからこそ、まだ通院ができるうちに、まだ噛む力が残っているうちに、体力や理解力が保たれているうちに、きちんとした義歯を整えておくことに意味があります。
義歯治療は、今困っている症状を改善するためだけのものではありません。
■ これからの人生を支えるために
75歳前後は、生活リズムが比較的安定しており、通院も可能で、新しいことに適応する力が残っている、義歯治療にとって非常に重要な時期です。
このタイミングで噛める状態・安定した義歯を整えておくことは、食事を楽しむ力を守り、栄養状態を保ち、体力低下を防ぎ、介護のリスクをできるだけ先送りすることにつながります。
■ 「適当でいい」ではなく、「これからのために」
高齢だから、もう適当でいい。
そう考えるのではなく、
高齢になってからの時間を、できるだけ自分らしく過ごすために、今きちんと整えておく。
私たちは、そのための義歯治療を大切にしています。